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zoom RSS 億載阿僧祇効  (Countless)

<<   作成日時 : 2013/06/24 13:16   >>

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 還暦を過ぎたのだから、ゆっくりと自然に枯れて死に向かっていけば良いものを、馬鹿だからいろんな所に顔出ししていささか忙しすぎる毎日でありました。ちったあのんびりすりゃ良いのに、昨日は昨日で座禅をやってきた仲間とお寺と教会へ行ってきました。1日でお寺と教会両方でございます(笑)。

 まずは大田区の池上本門寺に隣接する永寿院さんへ伺って、万両塚を見せていただきました。万両塚というのは家康とお万の方の子徳川頼宜(紀州徳川家初代藩主)と、加藤清正の子である瑶林院の間にできた子である芳心院という女性の墓です。つまりは家康の孫の一人。お万の方というのは日蓮宗の大信者だった人で、この人の墓も本門寺にあります。また清正の子瑶林院も熱心な法華の信者だった人。

 そういう血筋だから芳心院も熱心な法華の信者で、嫁ぎ先の鳥取池田藩江戸屋敷(今の帝国ホテルの建っている場所)から頻繁に池上に参詣していたそうです。歩いてくるわけにて往復1日作業だったことでしょう。彼女が生前に立てた墓がこの万両塚。行ってみたら実に興味深い場所で、この芳心院のとんでもなく大きなお墓もさることながら、隣接地に弥生式竪穴住居跡や、さらには1500年ぐらい前の古墳を見ることができます。ご住職が10年前から熱心に墓所の改修をする作業の中で、こうしたものが発掘されてきたとのこと。ご興味のある方は本門寺の散策も兼ねて一度お行きになられると良いでしょう。因みに芳心院が自らの骨壺の上、塔の上部に納めた法華経八巻も残っています。画像

 塚を見たあと永寿院のご住職から法話もいただき、終わったその足で座禅の会の仲間たちと今度は飯倉の聖アンデレ教会へ。聖公会というイギリス国教会系列の教会ですが、行ってみたら何のことはない、東京タワーのすぐ近くで教会入口から後ろを見ればタワーが仰ぎ見られる場所でした。ここんとこ何だか東京タワーに縁が多い(笑)。

 仏教徒たるものがなんでまた教会へ?ということになりますが、ジャズの演奏会を聞きに行ったのであります。名付けて「教会にJAZZが来た!」。コンクールで優勝したこともある40年も続くアマチュアのビッグバンドだったのですが、座禅の会の同僚の友人がシャンソン歌手の竹下ユキさんという方で、その人がゲスト出演するということにて。震災支援のためのコンサートにて収益は全額被災地へ行きます。

 教会にてジャズというのもなかなかの味でした。外の庭にて美味しいシャンペン一杯300円で堪能して、言うこと無し!最近は簡単に安上がりに酔っちゃえる(笑)。 もっとも、コンサート途中には牧師さんのお話しもあったのですぞ。故に昨日おじさんは実に信心深い1日を送ったわけであります(笑)。画像

 ついでに昨日の往復の電車の中で読んだ本が信心にからむもので、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(笑)、中村仁一というお医者さんが書いた本でした。ベストセラーらしくて図書館に予約したのが半年以上前だがやっと手元に来ました。何で信心にからむかというと、読んでみてわかったのですが、この中村さんというお医者さんは仏教の教えから多くを学んでいるお医者さん。そのお医者さんが、「老年になったらなるべく医者のところへは行かないで、自然に死んでいきなさい」と書いているわけにて相当に面白い本です(笑)。あまりに面白い箇所が後半にかけて頻出し、思わず電話の中で声を出して笑ってしまい、あっと思い口をつぐみました。ユーモアというか皮肉というか、どんなことを仰っているかちょっとおすそ分けします。

(p168) 75歳、80歳になっても「ワシはまだ交尾ができる」といばっている爺さんが時にいます。しかし、たとえ交尾が可能だったとしても、精子は老眼鏡をかけたり、松葉杖をついたりしてヨレヨレですので、実用向きとはいえません。
(p171) 「年をとれば、どこか具合の悪いのが正常」なんです。万一、年寄りのくせに、どこもどうもないなら、それはよほど異常というべきでしょう。即刻入院して精密検査を受けた方がいいと思います。
(p172) 今、テレビのチャンネルをひねると、健康食品関連のコマーシャルが溢れています。 年をとれば減少するといわれるコンドロイチン、ヒアルロン酸、グリコサミン、コラーゲンなのです。あれらは摂取しても、体内に吸収する段階で分解されてしまい、あの形のまま、目的の場所に到達はしないと考えられますので、とうてい、効果があるとは思えません。
(p178) 年をとればどこかに故障が出るのは、あたりまえです。ですから、繁殖を終えての賞味期限の切れたわが身も顧みず、むやみに「健診」や「人間ドック」を受けて、病気探しをしてはいけません。医者の餌食になるだけです。「メタボ健診」も同様です。年寄りが、今さら腹回りを気にしてどうしようというのですか。(中略)それでは、全く無駄で無意味かといえば、そんなことはありません。なぜなら、健診業界を潤し、病院の経営安定や医者の生活保障の役には立っているわけですから、心の広い方は、お続けいただきたいと思います。

 どうです、面白いでしょう。ん?あんまり面白くない? グシュッ。 いずれにせよこの本もご興味があればぜひお読みになると良いと思います。勇気湧いてきます(笑)。人間も植物と同じで枯れたら死ぬんだから、枯れていくのにいちいち無理やり抗うことなんぞやったら苦痛でしかない、今の医療はそういうことをやっているので駄目!余計な措置しなければ、最期は実に穏やかに苦痛も全くなく死んでいける。特に癌はそう、何も措置をしなければ全く苦痛は無い、という事を正真正銘の医者がおっしゃっています。「なるほどっ!」と私は思ったわけです。何で彼はそんなことを言っているか。本を読めばわかりますが仏教徒だからです。ちゃんと以下のようにも書いていらっしゃいます。

(p187) 「死」が「苦」(ドゥフカ、思い通りにならないもの)であることは、2500年前に、釈迦が気づいた永遠の真理です。 ということは、「死に方」や「死ぬ時期」は私たちの自由にならないということです。

 そう、その通り。今日明日突然死ぬことだってあり得るわけです。だったら、今日明日死んでも良いように今日をきっちりと生きることが大事で、10年後がどうだの100年度がどうだのと騒いでいる奴は、下手をするとひょっとして大馬鹿だということです。

 そういえば、昼間のご住職の法話は、妙法蓮華経如来寿量品の冒頭についてのご法話でした。これを日蓮門徒は「お自我偈」と言うのですが、その冒頭は

「自我得佛來 所經諸劫數 無量百千萬 憶載阿僧祇 (じがとくぶつらい しょうきょうしょうこつしゅ むりょうひゃくせんまん おくさいあそぎ) 
常説法教化 無數億衆生 令入於佛道 爾來無量劫 (じょうせつぽうきょうけ むしゅおくしゅじょう りょうにゅうおぶつどう にらいむりょうこう)

と始ります。意味は、

私(お釈迦様)が仏になってからというものは、数えきれないほどの永い永い歳月が経っている。ずっと遠い昔より仏として法を説いてきた。そして無数億の数え切れないほどのたくさんの者を教化して仏道に入らしめた。そうしてその時以来無量劫である。

ということにて、つまりはずっとずっと前から、仏は常にこの世にいてたくさんの者を救ってきたということです。

 仏教に関心の無い方にとっては別に有難くも何ともない文章でしょうが(笑)、老婆心ながらひとつ解説しますと、「劫」とは、「百年に一度天女が天から降りてきて、その羽衣で岩をひとなでする。それがずっと続いて、その岩が削れてなくなる」、その時間が「一劫」という時間です。若い頃座禅に通っている節に、恩師の住職さんから何度も聞かされましたから覚えていました。その劫が無量、つまり無限大に続いた時間な訳にて、無量劫とはとんでもない時間の間、仏は衆生を救い続けているということを言っております。
 さらにもうひとつ勝手ながら老婆心を発揮すると、大きな数字の表記のほとんどは仏教の概念です。一、十、百、千、万、億、兆ぐらいまではお分かりと思いますが、そのさらに上は何かと言いますと、
 「京・垓(がい)・穣(じょう)・溝(こう)・澗(かん)・正(せい)・載(さい)・極(ごく)・恒河沙(ごうがしゃ)・阿僧祇(あそぎ)・那由他(なゆた)・不可思議(ふかしぎ)・無量大数(むりょうたいすう)などと続いていくそうです。

 結局何が言いたいの?と思われるでしょう。私も一体何を言おうとしているのでしょう(笑)。冗談はさておき(ん?)、デカルトにせよアインシュタインにせよ、仏教を学んでいれば良かっただろうに、可哀想になあと思うということです。

 「我思う。故に我あり」から近代はスタートしました。これが馬鹿であります。無量劫にわたり正しき法の慈悲に「既にして」包まれているというのに、計算高いサルは止せばいいのに勝手に自分で数理を計算し始めたということ。アインシュタインは相対性理論を考えだして、それは間抜けなことに「原爆」につながっていきました。植木等さんがいてくれさえすれば、「わかっちゃいるけど止められない」デカルトやアインシュタインに、「あんたがた、お呼びでないよ」とちゃんと言ってくれただろうに、誠に残念であります。

 ほんの一瞬にしか過ぎない数百年の近代思考の積み上げなど、恒河沙(ガンジス川の砂の数)からみればほんの一粒ぐらいのものでしかありません。無量劫の慈悲に比して何の効力が有りましょうや。

 明日など煩わないで生きれば良いでしょう。人間の生などというものは、しょせん死ぬのですからなるようにしかなりませんし、しかし一方で既にして無量劫の慈悲に包まれているのですから、今日この一瞬に既にして生は祝福されているのですから。「人間は万物の霊長であるから。。。」云々かんぬんなんて考え始めた瞬間にお気をつけください。そうなった瞬間に人は、この無量劫の慈悲、祝福から離れていきます。


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