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東京ディズニーランド (Tokyo Disneyland)

2018/06/18 08:40
富豪のインド人家族の通訳ガイドで都内を2日間案内してくれとの依頼が舞い込む。日程表には初日が「浅草寺→スカイツリー→渋谷→銀座」となっていて、2日目が「築地場外市場→皇居東御苑→新宿でショッピング」となっていたのだが、到着前日に旅行会社から急ぎ連絡が入り、「2日目は終日、東京ディズニーランドを案内してください」との指示があった。

到着前日にそう言われたところで全く驚かない。インド人だから(笑)。「気まぐれ、我儘」な人も結構多くて、変更に次ぐ変更というのはインドの方々の場合は日常茶飯事なのである。

そんなことで15日、曇り空の中をディズニーランドへご案内した。それにしてもディズニーランドとは(笑)。記憶が曖昧だが、最後にここに娘や家内と一緒に来たのは、さてまあ20年以上前なような気がする。それ以降、自分で行ってみようなどとは思わない場所になっていた。人工的過ぎて、行く気が起きないのである。でもまあ今回は通訳ガイドという仕事ということにて(笑)。

ちらほら雨もぱらついたりして、人手が少ないディズニーランド、到着したのは午前11時。最初のうちは久ぶりということがあり、「やっぱりなかなか大した施設なんだ」ということを改めて感じる。

まずは入ったとたんにあるワールドバザール(買物コーナー)でインド人の方々は結構いろいろなアイテムを購入されたのだが、「いやはや、このブランド訴求力はすごいなあ」などと感心。

それが終わって真ん中の広場へ出ていくと、ちょど「七夕パレード」なるものが始まったのだが、パレードで踊っているスタッフの人たちの表情は笑み満面にて、いかにも幸せな気分になってくるような気がする。

パレードの次にお客様たちはアドベンチャーランドへ向かわれ、「カリブの海賊」というアトラクションを20分並んだ後に楽しまれる。私もご一緒したが、久しぶりのアトラクションは、これはこれで結構面白く作ってあって、やっぱり感心。

それを出てきて次のアトラクションへ行く前に、お客様たちが何か軽く食べたいとのことにて、近くのレストラン情報を、近くを掃除して歩いているスタッフに、つまりディズニーランドでキャストという人たちに聞いてみると、満面の笑みで何かと親切に教えてくれる。これもまた久しぶりの体験にて感心(笑)。

「あれ?僕はディズニーランドこんなに高く評価してたっけ?これだけたくさんの入場者がいつも入るというのは、この施設はやはりすごい施設なのかなあ。。。」などと思いつつ、お客様たちと一緒にいろいろなアトラクションに入ったり、またパレードを見たりなどして午後4時ぐらいとなる。ところがその頃には、人気のアトラクションは全て70分から90分ぐらいの待ち時間になっていて、結局インドの方々は、そこまで待つのはいやだということでほとんど乗れず、待ち時間の少ないアトラクションを見て時間を過ごし、手配したハイヤーでホテルまで戻れる時間の午後5時に現地を後にした。

その夕方頃には、私の方の朝感じたディズニーランドに対する新鮮さは、あまりの人込みに影響されたのか、かなり失せてしまい、「ショーとかはなかなかのレベルだが、こんなに人が多いんじゃ来るのも面倒だなあ」などと思っていた。

さてそれから24時間たった今、近々またディズニーランドへ行ってみようと感じているかというと、まったくその気はなくなっている(笑)。娘が「一緒に行こうよ」とでも言えばまだしもねえ。もっとも、娘はこんなじいさんを連れてなんぞ行きたいとは決して思わないだろうから、誘われることはありえない(笑)。

「ああ、やっぱり」と自分で思っている。通訳ガイドの仕事で行くなんてことでも無い限り、私がディズニーランドなどにはもう行く気がするわけがないのである。

東京ディズニーランド、改めて行ってみて思ったが、パフォーマンス、運営、キャラクターの創造等、全てが一級品である。たいしたものである。しかし、それはそういう「システム」が一級品だということである。

しかしながらあそこは、人間を人間らしく扱ってくれる場所では意外とない。だいたい歩道にごみひとつ落ちていないことからして不自然であるし、土ではなくて全面コンクリートである(笑)。

それに人気のあるアトラクションならぜひ見てみようと思うわけだが、それを1時間30分も立ちんぼで列をなしながら待つ気はない。せめてそういう人気のアトラクションを2つぐらいは見たいものだが、2つ見るだけで待ち時間がそれぞれ1時間30分だとして合計4時間ぐらいかかるので、たまったもんじゃない。疲れることがわかっている場所へ、わざわざ行く気なんぞ、やっぱり無くなるのである。どうしてこんなにたくさん人を詰め込んじゃうの(笑)。

そんな時間あるんだったら、好きな読書でもして作者なり主人公と対話するとか、友達と会って何かとのんべんだらりと楽しく話すとか、自然の中を散策して自然と触れ合うことを楽しむとか、家族と一緒に食事をするとか、そういう「関係性を楽しむ」時間に使いたい。

人はいろいろなものと関係する喜びのなかで生きていると思う。自然との関係性、家族との関係性、社会との関係性等々。しかしながら、システムに従って生きているのではないと思う。

ディズニーランドはシステムであって、システムが提供する憩いというのは、例えばロボットと対話しているような憩いである。心が休まるようでいて、実は何も休まらない。

ミッキーマウスやミニーマウスは確かにかわいい。しかし、例えをひとつあげれば、私が過ごした柴犬との日々の関係性が与えてくれた安らぎと比べられるような代物には決してならない。

さすがに「お金を稼ぎ出すシステム作り」に没頭する人たちは、すごいものを作り出すのである。しかし、そんなまやかしに、いちいち騙されるような年齢じゃあもうなくなってしまっていて、「あばよ」といった感じ(笑)。

ところでなぜこの富豪のインド人家族はディズニーランドへ行きたがったのか、到着してから5時間ぐらい、「アリスのティーパーティー」にふたりの子供と奥さんが乗っているのを見ながら、ご自分は乗らなかったご主人が、ご家族に手を振りながら私に向かってぽろっとこう言った。

「あのふたりが小さい子供だった20年以上も前から、ディズニーランドへは海外旅行でよく連れていきました。ロサンゼルス、フロリダ、パリ、香港と。でも東京のディズニーランドにはまだ一度も来たことがなかったので、子供たちももう30歳近くになりましたが、今日連れて来たかったのです」

それで私は合点が行った。このお父さんは、自分と家族の関係性を大切にしたくてここに来たのであって、ディズニーランドというシステムを楽しみに来たのではなかったのだと。

私は安心してディズニーランドを後にした。

「ところでディズニーランドで通訳ガイドって、一体何してたの?」ってか?

ちゃんと私だって「関係性を結ぶ」ことに集中して仕事してました(笑)。このインド人家族たちの話を徹底して横にいながら、5時間にわたり聞いてたの(笑)。だから5時間後にこの大富豪のお父さんは、私に上記の言葉をぽろっと言ってくれたんだと思ってる。
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スウェーデン (Sweden)

2018/02/25 13:16
 1980年台に始まった新自由主義の無責任さにはもう飽き飽きで、「グローバリゼーション」、「全ては自己責任」、「小さな政府」、「規制緩和」等々、ほとんどが虚構論理であるこは随分と透けて見えるようにはなってきた。そういう意味では、そういうものを主導した国としてのアメリカに対して、「力があるからといって、どうぞ嘘八百はもう結構です」といった感じで、げっぷが出る状態(笑)。

 むしろスウェーデンなんかに対する方が何かと関心が向く。去年、「政治経済の生態学」(スヴェン・スタインモ著、岩波書店)という本を読んだのだが、アメリカ、スウェーデン、日本の政治経済がどのように進化してきたかを比較して論じている。著者はアメリカのコロラド大学の教授で、彼の研究によれば、アメリカ、日本のここ数十年の政治経済の進化には評価が低く、スウェーデンの進化を非常に高く評価していた。私の考えていたこととぴったり同じことが多く書いてあって、はたとひざを打ちながら読んだ。次のようことが書かれていたと記憶する。

〇税率は非常に高く、所得のうち相当割合が税として国家に持っていかれるが、国民はあまりそれについて文句はなく満足している。
〇なぜかというと、たくさん税金はもっていかれるが、だからこそ社会福祉が何かと充実していて、仮に失業したり病気になっても、国家が周到に面倒を見てくれるので、安心して生活を送れるから。
〇そんなこともあってか、政治家に対する不信感は、アメリカや日本のようjには深刻なものではない。生きる権利は国民誰もの平等権利ということが政策としてもアメリカや日本に比べれば深く浸透していて、政治家は国民からダーティーな人たちとは思われてはいない。
〇経済を発展させるには女性にもどんどん社会進出してもらい、優秀な人には責任をもって重要なポジションを担ってもらったほうが良い。なぜなら、女性もどんどん働けば、家計のおさいふも膨らんで、世の中でまわるお金が増えて経済は良くなる。

 全て、「うん、そのとおりだろうなあ」と思って読んだ。逆に、上記したような状態に日本はなっていないから低迷している。最近はちょうど、以下のようなことを折々考えていたのである。

〇税金はもっと上げてしまってもらって、国家が持っていってもらって構わない。その代わり、その潤沢なお金で国家が提供してくれる社会保障が手厚くなっていれば、老後のために無理して貯金なんかする必要ないから、どんどん手元に入ってくるお金なんかも使うから、経済自体は人口がそう増えなくたって成長する。だいいち、老後の心配をしなくて良いということ自体が、気持ちを楽にして精神衛生上最高である。不安要素がないならお金なんか貯める必要は何もない。死んだらお金なんか何の必要もないんだから。

〇職場での男女平等は大胆に進めて、有能な女性にどんどん働いてもらえばよい。そうすれば家計の収入は自然と増えるから、それがまた世の中に出回り、経済自体はやはり成長する。女性にしてみれば、税金はたくさん持っていかれても国家が育児についての諸制度を法整備も含めて手厚く整備してくれるのと、自分の所得も十分に手にいれらえる人が増えるから、安心して子供を持とうとして、人口減少にはそう簡単にならない。今の日本みたいに、女性は差別して低賃金にするは、安心して子供を産み育てる諸制度も整備しきらないようでは、いつまでたっても子供は増えないんじゃないのか。

 なんてことでスウェーデンに興味を持っている。

 レーガンやサッチャーの頃から、政府は小さい政府でなければ、なんてことがいかにも正しい道筋かのように語られてきたけれども、あんなのほとんど大嘘だよね。クリントン政権時代に労務長官を務めたロバート・ライシュという人が書いた「最後の資本主義」という本の初っ端にも、こんなことが書かれている。

解決策は大きい政府でも小さい政府でもない。問題は政府の規模ではなく、誰のための政府かということなのだ。

 全くもってその通り。
 近いうちにスウェーデン人グループの通訳ガイドやれないかなあと楽しみにしている(笑)。
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倫理観の欠如 (Lack of Ethics)

2018/02/08 09:23
 翻訳なんぞをする場合にパソコンとは便利なもので、スマホと軽いパソコンを持ち歩けば都内どこでも、いや日本中どこでも、さらには世界中どこでも仕事ができる。今はASUSという台湾メーカーのスマホをジャケットのポケットに、980グラムの小さいノートパソコンを背中のリュックに入れて歩いているが、スマホにメールで翻訳依頼が来たら、電車の中、公園のベンチ、神社仏閣の境内といった具合で、座れる場所をみつけてどこでもアルバイト仕事ができる。

 ということで、いかにもITは便利だなあと言いたいところだが、こうした製品のハードなりソフトを売っている会社、特にOSを作っているマイクロソフトには落胆するばかりで、ITがバラ色の将来を約束してくれるなどとは、とんと信じない。最近もマイクロソフトに苦労させられた(笑)。

 そのしょい込んで歩いているノートパソコンは2年前に購入したもので、OSにWindows10が入っている。このOSのバージョンのアップデートを手動で行ったのだが、そうしたところパソコンのマイクが機能せず、音が出なくなった。それで製造元のASUS社のサポート窓口とやりとりしたが、結局何かと指示してくれた解決策は役に立たず。最後は、「修理に出していただくしかないです」と先方は言う。冗談じゃないと怒り、次はマイクロソフトのサポートに電話し、遠隔操作で画面操作をしてもらったが、原因は究明されず。それで仕方ないからネット上で同じようなことを経験した人がいないか、解決策が掲載されていないか、かなりの時間を使って調べたが、結局確かな情報はなし。都合、3日間ぐらいはこれに忙殺された感じ。

 20年ぐらい前のパソコン黎明期だったら、真夜中になろうと必死になって解決策をなお探していたと思うが、今は最初に書いたようにITの世界にたいした期待感もないから、発想を転換して問題解決した。どうしたかというと、音は出ないけど他は全て機能しているのだから、音が出る機器だけ一番安く買ってくれば事足りると考えた。それで秋葉原のソフマップへ行って、中古のタブレットを12,000円で買ってきて、何か音を聞く必要がある場合に使っている。若干手間がかかるとはいえ、たいして困るわけではないし、外を歩いている際に音が必要なら、携行しているスマホで画像を見るなり、ニュースを見聞きすれば良いのでこれも問題なし。

 このスマホだって、昨年4月に買ったFreetelというSIMフリーのスマホが1年経過したところでテザリング機能(Wi-Fiを発信する機能)が動かなくなり、新品を高いお金を払って買い替えるなど馬鹿らしいから、13,000円で買ってきた中古品である。せいぜい1年もてばいいやぐらいの気持ちで買ってきた。4万円、5万円出すなんざあ、IT業界に対して腹が立つから絶対にしたくない(笑)。

 背中にしょってるASUSのパソコンにしたって、新品ではあるが32,000円で購入したもので、最低限の投資しかしていない。でもエクセル、ワード、パワーポイントを打ち込んだり、メール送受信、インターネット閲覧であればこれで十分すぎるぐらい機能する。1997年ぐらいだったか、初めてノートパソコンを購入した時はシャープのノートパソコンで32万円を支払ったが、そんな高額なお金を出す気はもうさらさらなし。

 一番腹が立つのはマイクロソフトである。

 Windowsの定期的なupdateは必ずやった方が良いと言う。そうしないとパソコンが危険にさらされるからと言う。だとすると、そうした方が良いのだろうなと私のような素人は考えてそうする。ところがそうしたとたんに今回のように不具合が生じて、それをテレビが壊れた時や冷蔵庫が壊れた時のように簡単に修理してもらえるかというと、そうはならない。上記したように、マイクロソフトに連絡しても、「原因が特定できない」と言って、それ以上責任を持ってくれる気配は全くなし。「それってどういうことだ!!」、と叫びたし(笑)。

 だったら売るなということである。

 或いはどうしても売りたいなら、
「Windowsというのは、パソコンを守るためにアップデートが宿命的なものでして、当方がアップデートを提供した際は、お客様の情報を守るためにもぜひ行ってください。ただし、そうした際には不具合が生じる可能性は否定できないので、ご不便をおかけするやもしれません。その点、自己責任でお買い求めください。予めお詫び申し上げる次第です」
と書面で提示して売るべきである。しかし、探してみたが、マイクロソフトはそういう当たり前のことをどこにも書いていないように見受ける。

 アマゾンなどもそうだが、こういう企業群が大成功するというのは、新しいものをどんどん創り出すアメリカの優れたところのように見えて、実は最大の欠点を示している。

 最大の欠点とは、倫理観が欠如していてもカネ儲けが上手だったらそれで済んでしまう国に、益々なってしまっているということである。

 世の中をうまくまわすのに一番大事なものが欠如しているのだから、どう放っておいても良い社会を作ることは難しいだろう。





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一枚の切符 (A Ticket to Ride)

2017/12/19 14:59
「あん」という映画を数年前に見た。見事な「餡」を作って、停滞するどら焼き屋の店長を助けて人気店にする、そうした役回りの高齢女性を樹木希林が見事に演じていた。人生がねじれきってそのどら焼き屋の雇われ店長に行き着いた男を演じたのは永瀬正敏で、屈折しきった男の心情を、これもまた見事に演じていた。ストーリーはそれでハッピーエンディングにはならず、やがてその店の店主である女性が、その高齢女性がハンセン病(ライ病)の隔離病棟に住む患者であることを知り、店に来させないように店長に指示を出す。店長はそれを、自分にひとつの人生の光明を見出させてくれた高齢女性に言うのが忍びないのだが、そうこうしているうちに女性は店に来なくなる。そしてその女性を店長が隔離病棟へ訪ねると、その高齢女性は既にがんで世を去っていた、確かそんなストーリーだった。

ヨーロッパ、アメリカ、中近東、インド、東南アジア、いろいろな国から来る方々を通訳ガイドのアルバイトではお世話しているが、お客様の方から日本の映画で見たものとして口に出されるものが二本ある。一本はリチャードギアが主演した「ハチ」、言わずと知れた渋谷駅のハチ公を題材にした日本映画のリメイクである。もう一本は、これはヨーロッパやアジアの方から言われることが多いのだが、上記した「あん」という映画である。「ハチ」については、主人が帰ってこなくなってもあれだけ長い間待ち続けた行動に感銘するのは万国共通のようだ。渋谷へ買物なり、スクランブル交差点なりを見にお連れすることも多いから、そういう中で自然に「はち」という映画の話題を出されてくるゲストが多い。

それに対して「あん」の場合は、「こんがり焼きあがったパテの中に、何か黒いものが入っているお菓子、あれは何というお菓子ですか?」とか、「パテの中に、何か甘いものが入っているお菓子、あれは何でできていますか?」などという質問を受け、「ああ、あれはどら焼きとか大判焼きと言います」、「ああ、あれは小豆を砂糖などと一緒に煮てペースト状にしたものです」などという答えを言い、その後、「どうしてそういう質問をされるのですか?」とこちらから聞くと、「ハンセン病患者の高齢の女性があのお菓子の材料を作る映画を見たのです。食べてみたいので」と言われ、それで映画「あん」をご覧になったことがあることに気づくということがほとんどである。

そんなことで、そういうお話をお聞きした方には、旅の途中でできるだけおいしい「餡」が食べられるお店を紹介することにしている。例えば鎌倉などだと、鎌倉駅を背にして小町通をちょっと歩き、右へ折れて鶴岡八幡宮の二の鳥居へ出る途中右側にあるたい浪花屋さんなりを紹介して、一緒にたい焼きをほお張ったりする。めちゃここのたい焼きの餡はうまい。画像

あの映画、私も見た時は非常に感銘を受けた。ライ病差別を先鋭的に持ち出してきた映画ではなかったのだが、あの老いた女性の人となりとその優れた技術を最初に映画は見せてくれるので、結果としては、「こんな立派な女性をずっと隔離所に閉じ込めておくなんて、なんという酷い差別を行ったのだ!」と受け止めることとなる。

だから外国のゲストも、「ライ病差別を描いた映画がありましたよね」とはお聞きならず、「パテの中に、何か甘いものが入っているお菓子、あれは何でできていますか?」などという質問を私にされるのだと思う。「あの女性が丹精込めて作ったあのお菓子を食べてみたい」、そういう気持ちなのではと思う。

そんな経験を通訳ガイドでおりおり経験する中で、瀬戸内海の島にあるライ病棟に10歳の時に隔離され、70年以上を過ごしてこられた在日韓国人二世、崔南龍(チェ・ナムヨン)さんという方が書いた「一枚の切符」という本があることを知り読んだ。

昔は、癩病者を出すと、その者がこの世から消えるか、生きながらえれば一家が周囲の偏見差別で村八分にされた時代であった。かてて加え、植民地支配による強制連行や、炭鉱などでの過酷な労働と貧困と無知によるものか、日本に住む朝鮮から来た人たちのハンセン病罹患率は日本人の十倍に上ったそうである。

今でこそハンセン病は不治の病ではなくなり、隔離を決めた「らい予防法」は既に20年以上前に廃止されている。しかし、その時点では既に人生のプライムタイムを瀬戸内海の病棟に隔離されて生きざるを得なかった著者は、淡々として病棟の施設、生活、暮らしぶりを描き出していく。あるいは、菊池事件を始めとし、ハンセン病患者が受けた数々の不条理に対抗して闘った歴史を、これも淡々として300ページの書籍に書き綴っている。
その冷静な筆の運びに、たいへんな差別の中を生きられた方なのに、よくここまで冷静に書かかれたことと感嘆した。ライ病患者を隔離して差別した歴史を見事にあぶり出した記録として、将来へ渡って残っていくだろうと思いながら最後まで読んでいった。ただ、そういう抑えた文章だから、読み進んでいくのが少しく根気がいる作業であった。

そして本の最後にたどり着く直前まで来たのだが、そこに「一枚の切符」という短編が配されていた。戦争が終わり、著者は偶然の経緯から故郷の関西への切符を他人からもらい受け、それで瀬戸内海の隔離等から奈良まで親戚たちの安否確認のために往復した経験を書いているのだが、その短編の最後、つまりこの本のほぼ最後に来ての5行を読んだところで、私は「あっ!」と声を上げてしまい、しばらくそこから先を読めなかった。衝撃を受ける5行だった。ネタバレみたいになるから書かないが、冷静に書かれた300ページだと思っていたのが、著者がひしひしと数十年にわたり耐えてきた差別を受ける悲しさが、その5行にどっと凝縮されて表現されていた。一枚の切符はいかようにも使えたのである。その切符でもって著者はハンセン病棟に帰ってきたのだが、その切符でもって、何ならそのまま病棟に別れを告げる手だってあったものを。。。
この作者はライ病棟の記録を残そうとして本をまとめたのだと思って読んでいたのだが、そうではなくて、文学を遺したのだと思った。

「差別」そのものに焦点を当てずとも、上記の映画は「美味しい餡」に焦点をあて、上記の書籍は「切符が持つ意味」に焦点をあてることで、逆に見事に「差別」そのものがあぶりだされていた。いろいろ秀逸な表現方法というものがあるのだと感じる。





一枚の切符??あるハンセン病者のいのちの綴り方
みすず書房
崔 南龍

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投資って一体何? (What is Investment?)

2017/11/18 15:21
昨日は半日、世界各国からの機関投資家向けに開催された不動産投資セミナーのお手伝いをした。世界中に事務所を持つ有数の資産運用会社が主催したセミナーなのだが、プログラムの一部として、都内にあるいくつかのオフィス物件を見学するバスツアーのお世話役だった。ビルの説明はその運用会社社員が行うから私は通訳する必要はなかったが、バスで動き回るものだから、移動時に見える車窓からの東京をガイド説明してあげてほしいという主催者側からの依頼でそれをしてきた。

見て回った物件は数百億円のものが主で、機関投資家代表の方々は熱心に物件を見ていたが、それを世話する資産運用会社の東京事務所で働く外国人社員は、結構ぴりぴりと神経を遣われていて、たいへんそうであった。それが証拠に、ツアーが終わって全てのお客様を滞在ホテルで降ろしたところで、その外国人社員の方が、「ああ、疲れた〜」と言って、バスのソファーにしばし横たわられたのである。

「投資物件」を売るという作業は、しかもそうした数百億円の物件を売るというのは、確かに神経をすり減らす仕事だということを、横で見ていて「たいへんだねえ」と思って同情した。他人事の無責任な言葉でその方には申し訳ないが、こちとら職人だから、半日通訳労働をきっちりと済ませて、それで御足を頂戴できるのだから、ストレスも無くありがたく、昨日は昨日でもうすでに完結して終わったのである。

翌日の今日土曜日の朝、とある大手証券会社の女性から電話がかかってきた。NISAという投資を促進する非課税制度が日本では2012年に創設されているが、来年2018年から積み立てNISAという制度が新たに始まるから、検討してみられてはどうかという電話だった。

私も過去には株など買ってみたこともあったが、そうしてみてわかったのは、そういうものを持ってみると、いちいち値が上がったり下がったりを気にしたりして、要は煩悩の塊になってろくなことがない、ということであった。よって今は、投資の利益なりが非課税になる制度と言われたところで、私にはそんなことはどうでも良いことである。

だから、「ああ、私には興味ありません」とお伝えした。そうしたところ、「確かにリスクを取らないといけないのは煩わしいですよね。では、定期預金にはご興味ありませんか?グループの中に信託銀行があって、通常の預金金利より高い金利になっていますので」と言われた。それで、「金利は1年もので何%なのですか?」とお聞きしたら、「0.1%です」とのことにて、「そりゃあ金利があってないようなものです。そんなものをいかにも特別メリットがあるように言わないでください。そのくらいの金利分配額を得ようとするなら、1日しっかり働けばそんな金利分ぐらいの金額は何とか稼げます」、とお伝えし、電話を切ろうと思ったら、その女性は次にはこうおっしゃった。「国債はいかがでしょうか?」

「日本の国債ですか?買うわけないでしょう。こんな借金漬けの国が発行して、それを日銀がじゃぶじゃぶ無節操に買い支えているような代物、怖くて買えるわけがありません」とお答えした。

そうしたら女性は、「では外国の国債はいかがですか?日本に比べて金利も高いですし」とおっしゃるので、「結構です。外国の国債を買えば為替リスクを抱えますので、そんなことを煩うのが面倒くさいです」とお伝えして電話をいよいよ切ろうとしたら、女性はこうおっしゃったのである。

「ではどのようにして老後に備えていらっしゃるのですか?」

もう電話を続けるのが面倒臭かったのだが、

「備えるも何も、誠に有難いことに65歳とはいえ心身ともに元気ですから、働いてお金を稼ぎます。働きさえできれば、たくさんのお金を誰かに預け、不安を抱えながらリターンを計算することなんぞより、よっぽど多いお金が入ってきます。働けば着々と毎日何がしかのお金がすぐに入ってくるんですから。だから心身ともに元気であれば、株式だの債券だの、投資信託だのにお金を預けるより、稼いだお金できっちりと定期医療検査を受け、友達と楽しく会食し、心の滋養になるコンサートへ足を運んだり、大いに笑って健康になれる落語を聞きに寄席へ行ったり、そして私の職業は通訳ですので、当然ながら自分の英語能力が衰えないように毎日英語の教材を勉強するのにお金と時間を使う、教養を高めるために多くの本に目を通すのに時間を使う、そうしたことが私にとって一番健全で、なおかつ確実なリターンをもたらしてくれる投資です。だから、あなたのおっしゃる投資の類と、私の考える投資は違いがありますので、もうこの辺で電話を終わりにしていただいて良いですか?」

ということで、先方も「わかりました」とおっしゃって電話は終わった。その間30分ぐらい(笑)。

いつの時代も、人のふんどしで相撲を取ろうとする輩は五万といるのである。いや、十万、百万ばかりが今の世の中(笑)。

「良い投資先があります」などということを聞かされたら、聞き流すことが一番健康の素だ。ラスベガスのカジノと同じだと思えば良い。最初ビギナーズラックで勝って幸福感に浸ることもあるやもしれないが、相手は金をまきあげることのプロである。どうせそのうち身ぐるみ剥がされかねないのがおちである(笑)。

今日心身ともに元気であって、家族も元気、空も青空だとしたら、これ以上の幸せはない。「投資」をするとしたら、汗水たらして働いて自分でお金を稼ぎ、そのお金をまた心身が健全であるようになることに使えば良いことである。繰り返すが、何もわざわざ長い時間リスクをしょってリターンを待つなどというまどろっこしいことをするよりは、働きさえできれば、すぐさまお金は入ってくるのである。

「江戸っ子は宵越しの金は持たねえ」との言葉がある。その言葉の背景を私は寡聞にして知らないが、実に賢い言葉だと感じる。

何やかやの投資商品を購入することではなく、働くことを繰り返しできるように自己のコンディションを整えるための時間とお金を使う、それこそが本当の「投資」なんじゃあないの。おいらはそう思うけどなあ(笑)。
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ホームレス (Homeless)

2017/11/15 20:11
先週は通訳ガイドのアルバイトで、東京での医学学会にフィリピンから参加された20名の医師のお世話を4日間した。その学会は日本語での発表もあれば英語での発表もあり、英語の発表を医師たちはお聞きになるが、日本語での発表の時間は会場を出て買物や観光をされる。それを通訳ガイドとしてお世話した。

2日目の朝、学会開始から1時間半にわたる英語での講演が終わったところで、午前中残りは日本語での講演ということで、数人の女性医師から「富士山を見ることはできないか?」との要望が出た。それでは昼食まで2時間あるとて、東京都庁の展望台へお連れした。新宿の超高層の都庁ビルには、北と南の2つの展望台があり、無料で地上202メートルからの眺めを楽しむことができるのである。

都心の学会会場から新宿へ団体バスにて移動、展望台がある都庁第1庁舎へはバスを横付けして第1庁舎と第2庁舎を結ぶガード下で降りるのだが、そこにはホームレスの方々の段ボールによる住宅が並んでいる。当然ながら外国からのお客様の目にはホームレスの人たちの段ボールハウスが目に飛び込んでくるので、バスでここに降りる際は、なぜホームレスの方々が生じてしまうのか、日本の社会保障制度も絡めて事前に車内で説明をする。ヨーロッパのお客様だと、「なるほど。よくわかりました」で終わることが多い。ところが今回のフィリピンのドクターたち、特に女性医者たちは随分と違った反応をなさった。

「何で家族の人たちが助けに来ないの?」

と、ひとりの女性医師が私に聞いてきた。それに対し私が、「いや、ですので今ご説明したように、家族と離れ離れにならないといけないような失業とか、離婚とか、何かといろいろな理由があって、もう家族との連絡も途絶えてしまった人たちなのです」、と答えたら、さらに3人ぐらいの女性医師が改めて、

「家族が助けに来ないなんて、そんな馬鹿な!」

と、いかにも私の説明が理解に苦しむこととして嘆息された。

それで私は、展望台へお連れして東京の街を眺めている間、随分と考え込んだ。戦前の大家族の日本だったらその確率は今よりは高いだろうが。。。フィリピンにはそういう大家族が随分きっちりとまだ存在しているのだろうか??

そうこうして3日目、上記の質問を最初にしてこられた女性医師が、「明日日曜日だから、ホテル近くのカトリック教会のミサに行きたいのですが、探してくれませんか?」と聞いてきた。フィリピンから来られたお客様だからカトリックの方がいるはずにて、当然のご要望と思ってすぐネットで検索したら、ホテルから徒歩20分のところにカソリック協会があった。そこにお電話して了解をもらったので、その女性医師に場所等をお教えしておいた。

4日目の日曜日、午前11時にホテルを出発して羽田空港の国際線ターミナルへお送りする予定にて、10時40分にホテルロビーに着いた。それから5分後ぐらい、教会をお教えした女性医師ばかりでなく、男女合計8名ぐらいがホテルに一緒に入ってきた。あれっと思って女性医師に「おはようございます。皆さん教会へご一緒されたのですか?」と聞いたら、「そうです。みんなでミサに参加できました。ありがとうございます」と、笑顔たっぷり幸せそうにお答えになられた。

それでふっと逆のことを思ったのである。私も100回以上は日本の方をお連れして外国を訪問してきたと思うが、週末日曜日に、キリスト協会なり仏教寺院を調べてほしい、祈りを奉げに行きたいので」と言われたことがあったかどうか。。。そういう経験が記憶の端に、残念乍らほとんど上がって来なかった。あるいは日本人は日本にいても、何度も頻繁に教会や寺院へ足を運んでいるだろうか、残念ながら疑わしい限りである。

ホームレスをどうして家族が助けに来ないのかを随分と不思議がり、日曜日に多くの人に声をかけてミサに出掛けていったこの女性医師、年齢は50歳台半ばくらいの方だったが、どこへ行っても私の後ろについて熱心に説明を聞く方だった。

この信仰深い女性医師は、フィリピンへ帰られて今、日本という国をどのような国として捉えられているだろか?

ひょっとして日本という国が、経済成長をしたは良いが、その一方で家族の絆の大切さをないがしろにし、信仰さえも簡単に捨て去ってきた国だとして捉えられているのだろうか。。。

彼女はわれわれよりも遥かに幸せな国に住んでいるのやもしれない。私たちは「欲に惑わされたお金の国」にいるのだが、彼女は「神の国」にいるのだから。

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新築建物と中古建物 (New Buildings and Existing Buildings)

2017/10/31 14:38
日光へ外国人グループをご案内することが月に2回ぐらいある。東照宮を見た後の昼食は、二荒山神社から歩いて下りてくればレストラン街はあるのだが、JR日光駅近くまで戻って解散し、自由にコーヒーショップやレストランに入ってもらうようにしている。レストランの数が多いことも理由だが、昼食後にJR日光駅舎を見学してもらえることも理由である。この駅舎、1912年(大正元年)に完成した築105年の建物で、中へ入ると実に落ち着いた雰囲気を味わえるのである。もちろん現役の駅だから入場料など支払わなくても入っていけるし、2階にある旧一等車客専用の待合室も自由に入って見学できる。この全面板張りの部屋を見ているだけで、何とも気分が落ち着くし、外国の方もここは随分と気に入られる。画像

先週その2階の待合室で、70歳のオランダ人女性客と話していたら、「この建物は古いけど素晴らしいですね。私、ポーランドに行ったことがあるのですが、その時見たたくさんの中古住宅の美しさを思い出します」とおっしゃり、その後に続いた言葉は、不動産業界にいた私にとって印象的な言葉だった。こうおっしゃったのである。

「日本では戦後ずっと木造住宅を、20年ぐらい使ったら壊してしまうというとんでもなく勿体ないことが結構多く続けられてきたと、東京の街を案内している際に説明してくださいましたね。経済成長の真最中で、お金が有り余っていたからそんな馬鹿なことが続いて、大切な資産をどぶに捨てるようなことをしていたと聞き、私もそれは勿体ないことをと思いましたが、ポーランドはご存知のようにずっと貧しい国でしたから、逆に新築を建てたくても建てられず、だから中古住宅を丁寧に大切に使ってきて、それが今になると非常に素晴らしい輝きを放つ住宅になったのだそうですよ。確かに私も見てきて、ぜひ住んでみたくなる魅力的な住宅ばかりでした。日本の逆ですね」
とまあ、そういうお話だったのである。

今年の春、この女性ではないが、やはりオランダ人グループにバスの中で、日本の住宅不動産市場について説明していた際、「日本では住宅を購入して後、売るときはだいたい資産価値が下がって手放します。だから住宅を持つことがバラ色の夢にはなっていません」という話を私がしたら、オランダの人たちは、「え〜、うっそ〜」みたいな感じでびっくりされていた。あまりに大きな驚きのリアクションだったので詳しく聞いてみたら、オランダはアメリカと同じだそうである。中古であれ、住宅をしばらく保有した後に売却する際は、基本的には譲渡益が出るそうだ。あるいは最低でも買った時と同じような価格で売れるとのこと。

その時改めて思った。やっぱり日本は、住宅の資産価値については極めて特殊な国なのである。「新築が良い、新築が良い」とディヴェロッパーは無責任な宣伝を拡販して住宅を売りさばき、それを応援する役人は新築を買うと税金が優遇される制度をしこたまこしらえ続けてきた。それに乗せられて一般庶民は、なけなしのお金をはたいて新築を購入したは良いが、20年もたてば「価値ありません」と言われる。アメリカ人やオランダ人にしてみれば、これは「詐欺」にも等しく聞こえるのであろう。

新築住宅を奨励するよりは、中古住宅を持ち続け改修を継続して住宅の価値を減らさないという、他の国が当たり前のこととしてやってきた住宅不動産市場育成を日本はしなかった。でもって、以前資料を添付して書いたが、40年間の間に新築をどっさり建てては壊して、500兆円の住宅資産価値をどぶに捨てて無くしてきた。

家族が集う、家族が育つことを実現するために、ひとりひとりが夢見て大金を使う住宅、その夢に乗じて、言ってみれば「詐欺と言ってもおかしくないような行為」を働いたのは誰なのか?

新築の住宅も勿論あって良い。でも、「新築こそが買うべき住宅である」などという、無責任な輩が組み立てた神話を信じこんでいる人がいたら、一度日光へ行くことを提案したら良いだろう。

この築105年のJR日光駅を見るも良し、築380年の日光東照宮社殿群を見るも良し、東照宮から歩いて10分、築130年の日光田母沢旧御用邸を見るも良し。それぞれがみな素晴らしい魅力を持った建物を見れば、

「新築に比べ中古はねえ」、などという考えは、何の根も葉もない考えだということに思い当たるだろう。画像

そんなものは、誰かが勝手に小細工した神話でしかないのである。



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